2008年7月31日木曜日

農業変革の一方策。

WTO交渉決裂。

日欧米の枠組みでは合意に至ったように見えたが。
日本の存在感は皆無。
ブラジル・インドの台頭が目立った。

日本農業に変革の猶予が与えられた。
次回の交渉までは5~7年近くかかる言われている。

それだけの期間があれば
本気で変わろうと思えば変わるはず。

しかし、それをやってのける人が不在だ。

農業の変革は難しいが不可能ではない。

昨日、彼女とこんな小難しい話をしていたときに気がついたことだが
農業をはじめとして、今の日本を取り巻く種々の課題は
社会システムにひずみが生じていることの表れだろう。


少なくとも農業に関しては、
食料生産の現場に高等教育を受けた技術者・研究者が
皆無に等しいということが問題。

もっと言うなら現場には彼らを生かす仕組みが存在していない。

企業化などを通じて彼らの知能を生かす仕組みを構築できれば、
農業は革新する。

2008年7月29日火曜日

外部環境に適応せよ。

WTO交渉はいよいよ大詰め?
結局のところ重要品目は4%+2%といったところか。

日本農業の行く末は・・・。


いままで農業の衰退が問題になってはいたものの
抜本的な対応を取らなかったツケがこれからくるか。

農業の問題=農業生産(者)の問題
という認識が強い気がするけど、農業は生産者だけの問題ではない。

流通、機械、資材、加工・・・etc。

農業生産を取り巻くもの全てを見なければならない。


農業経営のあり方だけ見たって「木を見て森を見ず」の議論だよ。

農業生産を取り巻く全ての仕組みを見直して
再構築しなければならない。

小手先の対策をとっても仕方がない。

パラダイムシフトというか、イノベーションというか。



だからといって、多面的機能を強調したとて知れてる。
原理原則論が重要。

本質はなんだ?農業の使命とは?

シンプルに考えれば分かること。
「人々が生きるために必要な食料を生産すること。」

これに尽きる。


この使命を最大限果たすためにはどんな仕組みがいい?

今、今後5年10年見通したときに
どんな仕組みを構築して実行すればいい。

その仕組みがひずみを生むようになったら修正すればいい。


「いままでは・・・だった。」

そんな議論どーでもいい。

いま、最適な手段を選択し実行すればいい。


それをやらない限り、衰退するのは必至。

外部環境の変化に対応できない者は淘汰されるのが自然の摂理。



日本農業は外部環境(貿易自由化、食生活の変化等)の
変化に対応できていないから
今の状況に陥ったのではないだろうか。

逆に考えれば、
外部環境の変化に対応した仕組みを構築できれば
日本農業の繁栄が可能。

そこには腐るほどビジネスチャンスが眠っているはず。



生産者、農協、行政など農業を取り巻く全ての機関が
今までの仕組みを維持しようとする限り日本農業に発展はない。

2008年7月26日土曜日

食料自給率の話。part.3

さて、今回は前回に引き続き、WTO交渉がらみの話。


ちょうどいま、
WTO交渉(ドーハラウンド)が行われているため、
新聞を読んでいると何かと記事を目にする。

で、こやつはなかなかやっかい。


なんで農業ばっかり悪者にされないといけないんだ!
そう思う農業者も多いと思う。

さて、この問題が抱える問題を紐解いてみよう。


まず、WTO交渉とは何ぞやという話。

WTOというのはご存知の通り
世界貿易機関(World Trade Organization)の略。

WTOは簡単に言うと貿易自由化を促進するための国際機関。


で、このWTO交渉ってのは
要するに貿易自由化のために関税を撤廃したりしましょ
っていう交渉だ。

一見、関税が撤廃されるといいことづくめにも見える。

だって海外のものが安く日本に入ってくるし、
日本のものも海外で安く売ることができる。


しかし、だ。

そのいいことに見える点がやっかいで、
特にWTO農業交渉と言われている農産物貿易に関する交渉が
大いにもめている。

理由は複雑すぎて俺も整理しきれない。


ただ、分かっているのは
日米の問題として、
輸出補助金(アメリカ)と高関税(日本)という農業保護があること。

国内的な問題としては
攻めの鉱工業品と守りの農産物といったトレードオフを
日本が持っているということ。


恐らくこの交渉は日本が妥協させられて
農産物の関税を引き下げるか押し切って決裂になるか。

しかしここで強いことを言うと
鉱工業品の輸出促進のために他国に関税引き下げを迫れない。

だから日本は難しい立場にある。

また、農業が経済界からの批判にあってしまうのもそのため。


ちなみに日本のコメ、関税率は800%近い。
小麦でも250%近かったような。


そしてこの関税引き下げに応じると
ただでさえ低い自給率が更に低くなってしまうのでは?
という懸念がある。


この話の続きはまた今度。

2008年7月20日日曜日

食料自給率の話。part.2

食料自給率シリーズです。

part.1では自給率の数字にこだわる必要はないということ、
感覚的に「自給率が低い」ということが知られていない
ということについて考えてみた。

今回は何について書こうか。


食料自給率は高いに越したことはない。

なぜ、こうも低下してしまったのか。

一般的に言われている理由は
国内農業の衰退と食生活の変化といって間違いないだろう。

特に国内農業の衰退に目が向けられがちなように感じる。


しかしだ。

国内農業が衰退することになった要因を考えてみると
食生活の変化が最も大きな影響を与えているように感じる。

もちろん、農産物貿易の自由化による影響も否めない。


ここで食生活の変化について考えてみると・・・
周知の通り、ここ半世紀で日本の食生活というのは
コメと野菜中心だったのが
コメやパンと肉が中心の食生活に変化した。


これが自給率に大きな変化を及ぼしたものと考えられる。

肉食が台頭する以前の1960年代までは
食料自給率は60%あり、コメの消費量は120kg/人・年だった

それが現在では・・・
食料自給率が40%、コメの消費量は60kg/人・年を下回る水準まで低下した。
(コメの消費量は最近の穀物高の影響で若干増えているらしいが。)



極端な言い方をすれば、
コメを食べなくなったために自給率が低下したと言える。

そして国内農業の衰退も。


この前提を元に、逆に考えれば
コメを食べれば自給率は上がるとも考えられる。

どこかで聞いた話だが
一人一人が毎日パンを食べる代わりにご飯を今まで以上に食べれば、
(パンを1個→ご飯茶碗に一杯といった具合にすれば)
自給率は1%上がるらしい。

この理屈は想像がつくと思うが、
コメについては消費量が増えようが減りようが関係ない。
コメの自給率は95%でほぼ変化しないのだから。(※)

ポイントになってくるのは小麦の消費量である。
小麦の消費量を減らせば自給率も上がってくる計算だ。


それと肉。こいつが曲者なんだ。

肉の自給率ってのは意外と高く、
オーストラリアやアメリカ産が台頭している牛肉でも40%の自給率がある。
しかし、国内産穀物で肥育された数字だと・・・10%近くまで下がる。

ということは、肉需要が高まるということは
それだけ穀物需要も高まる。(肉1kgに対して小麦1000kg)
仮に国内で肉生産を増やそうとしても
家畜に向けられる国内産穀物なんてあるわけもなく当然飼料を輸入に頼る。
すると自給率は下がる。


とりあえずここで言えそうなことは
パンと肉を食べるのを控えれば自給率が向上しそうだ
ということだね。


さて、この辺の話を書いていて
WTO交渉について色々と考えが浮かんできたので
次回はWTOがらみ(農産物貿易自由化交渉)の話にしようか。

訴えても仕方ない。

農業団体なんかの動きを見ていて
特に違和感を覚えるのは署名活動や集会を開くということ。

農家の生活が苦しいことを政府に要望する。


それ自体は悪いことでもなんでもないが、
いいこととも言えない。

なんでそれしかできないの?と、言いたい。


もっと頭使えよ。
どうやったら儲かるのか。収益があがるのか。

そう思う。


だから学生なりの視点で農業の未来を創造したい
そう考えるようになったのかもしれない。

まずは理想ありき。

どんな姿・形が望ましくて
そのために何をしていかなければいけないのか。

その実現のためにはどのような努力が必要なのか。


それを考えたい。


前向きに、何をどうすればもっと良くなるのか。

農業をとりまく環境が厳しいのは訴えなくてもみんな知ってる。

それをどう乗り越えていくのか。
これを考えることこそ今、すべきことじゃないのか?

2008年7月15日火曜日

食料自給率の話。part.1

最近になってよーやく
食料自給率が低いということがマスコミでも
取り上げられるようになった。

日本の食料自給率はご存知の通り39%(カロリーベース)。

ここ5年くらいずっと40%だったのが
今年になって39%と40%を割り込んだ。


ただ、この自給率の話、
あまり数字にこだわらない方がいいと思えてきた。

と、いうのも40%だろうが39%だろうが、
そこには大して意味はない。

この数字が示す重要なポイントは
「日本人の腹を自国の食料で満たそうと思ったら半分も満たせない」
ということにある。


しかしだ、今の日本での食生活において
40%という数字に実感が持てるだろうか。

恐らく持てないだろう。


何故か、コメとパンの製造表示にその答えの手がかりがある。

コメは○○産米といった具合に
どこでとれたコメか分かるようになっている。

しかしパンの場合はどこの工場で作られたかは分かっても
原料である小麦の原産地がどこか丸で分からない。

それじゃ、実感が持てなくても仕方ない。


生鮮物なんかは原産地表示されているが
加工されたものは原産地の表示がない。

それじゃ感覚としてどれくらい海外の食料に依存しているのか分からない。


数値的に自給率が低いことを言うよりも
感覚として自給率が低いと言うことを認識させるような
取り組みの方が重要ではないだろうか。

そう考えるとパンや豆腐、味噌、コーンフレークといった
加工食品は原料の生産地表示を義務付けるべきだと思えてきた。

それだけで消費者サイドとしては
無意識のうちに生産地を意識するようになるのではないだろうか。


そこで俺が前々から言っている主張だが、
大学生協や外食産業なんかで自給率表示すると面白いと思う。
栄養表示できるんだから可能でしょ。

そしたら自給率を意識させられてしまうように思う。

事実、栄養表示は何故か気になるし。
特に塩分とか。(高血圧の血統なもんで。笑)



とにもかくにも、自給率を向上させるのであれば
まず感覚として自給率が低いことの実感がないのだから、
これを実感させる取り組みが必要である。

そう思う。

2008年7月8日火曜日

農業の面白さ。

「マイペース酪農」三友盛行/農文協・2000.3
を研究室の教授に薦められて読んでみた。


酪農のあり方について非常に考えさせられた。
今まではいかに乳量を向上させるかが至上命題だった酪農に対して
真っ向から批判して、
どのように「マイペース酪農」を実践しているのか書かれている。


この本の中で農業の面白さに関する記述が
あったので紹介したい。

===

すべての事象をよく見る、観る、看ることです。

そして、自分の今までの経験、知識を足して想像、推理、創造し、
的確な判断のもとで行動し実践する。

それができるところに農業の面白さがあり、
力量発揮のしどころなのです。

===

それを面白いと感じる人は農業に向いているのだろう。
そう思う。